「イバショ」にまつわる自分の中の未解決の問題

山の日っていつからできたの…?
世間はお盆休み入りムード。
なぜか昨夜あたりから、
なんだかもう疲れちゃって、
誰かに甘えたくなった。
そしてふと、
山の中の私の父母の住む家に
帰りたいなと思った。

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「帰る」とよくいうけれど、
ところで「帰る」とはどこへ行くことなのだろう。
私は昔から、
悲しいことがあるとよく、
「おうちに帰りたい」と言って泣いていた。
今でもたまに、
「おうちに帰りたい」
がやってくることがある。
自分には帰る家がないような気が、
どこかでしているのかもしれない。
ふと思った。
その昔。
父がよく言ってたと母から聞かされたこと。
「一度嫁に行った者はうちの娘じゃない」
あ、私それがとても強烈に悲しかったんだなって、思い出した。
言われた当時は、
そうだなって。
離婚した時も、
お父さんのところには帰らせてもらえないなって、
当たり前だよねって、
悪いのは私だからって、
思ってたなって。
でも本当は、
帰ってきていいよって、
言ってほしかったんだな。
いちばん甘えたい人に
甘えられなかった経験は、
その時の自分の悲しみに自分で気づくまで
終わらない。
今、
名古屋に自宅があって、
佐久島にもおいてもらえるお家があって、
長野にも父と母がいる実家があって、
どこに行くのも「帰る」といったりするけれど、
もしかしたら私は、
どこも「帰る」ところじゃないと、
思っていたのかもしれない。
だから私は、
いつも「居場所」がなくなるのかもしれない。
などとふと思った。
自分の深層の感情に気づくこと。
それは多分どこまでいっても、
みせられるものなのかもしれない。
だけど、
そっか。
ずっとそう思ってきたんだなー。
悲しかったんだなー。
傷ついてたんだねー。
そっかそっか。
そこに気づく。
それで終わる。
思えば、
父は黙っているけれど、
いつでも私の帰りを待っていてくれた。
不器用でまったく歓迎されてる感が伝わらないけど、
いつも待っていてくれた。
それだけで十分だった。
愛されていた。
名古屋に帰れば、
娘たちは、やっぱり母を待っている。
私を待ってる。
佐久島の今のおうちでも、
お父さんもお母さんも私を本当に大事にしてくれる。
彼もやさしい。
どこをみてもそこには愛がある。
ないものを探していると
どこまでいってもそれはない。
自分に戻ってくれば
そこにはあることに気づく。
 
ないと思っているものは、
実はある。
あふれ出す感情を感じることをおそれないで。
そこに大事なカギがある。
ないと思っている自分の中の未解決の感情に気づかせてくれる
「ない」もの。
それに気づけば、
「ある」世界にいけるんじゃない?
山のおうちに帰ろうかな。
そんなことを思ふ山の日。
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