もう片側を知る。両極をみると起きること。

男みたいに生きてきて
女性性を閉じていて
でもパートナーと二人で生きるということを知り
女であること。
を受け入れました。
チャンチャン♪
じゃないです。
そう。
男でよかったんじゃーーん(笑)
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私はずっと
一方通行にダダ漏れていて
失ったかのように思っていたことがあって。
それは
私のこころの奥にあった黒いかたまりみたいなもの。
それはまだ私が中学生や高校生の娘を持つシングルマザーだった頃。
整体やロミロミの仕事をやりたくて
安定した昼間の普通の仕事をする選択肢が私にはなくて
でもリラクゼーション業雇われの身では
休日も、年末年始もいつも働くのが当たり前で
平日も夜中まで働かないと母娘3人が暮らしていけなかった。
夜中のリラクゼーションサロンの受付に座っている私は
えたいの知れない悲しみをかかえていたように思う。
こんな時間まで家を空けている私。
疲れた娘が帰って来た時にそばにいてあげられない私。
作りおきのごはんを孤独に食べさせてる私。
そもそも私のせいで片親にしてしまった悪い私。
こんなにがんばって働いてるけどたいした稼ぎがなくて子どもに不自由させてる私。
そんな罪悪感を
小さい背中に背負った私は
笑わなかった。
本当には。
あの頃…
悲しかった。
いつも
さびしかった。
長女は引きこもり
次女は自分をいじめるように
めちゃくちゃハードな部活をやって
クタクタに疲弊していた。
疲れた私をいたわってくれる人はいなかった。
そして
いつも家賃や子どもの学費や生活費やいろんな支払いに追われて
うちはお金がなくて
子どもに辛い思いをさせて
ダメな母親だと
自分をいつも責めてた。
だから
男みたいに働いて
だけどお母さんとしてもカンペキにやろうとして
ひたすらがんばって
自分さえ我慢すればいいって思って
しんどかった!
辛かった!
あんな日々
いやだったーーー
って
どこかで思っていた。
そりゃ私だって
ゆって
よく考えたら
手元には残らなくても
どえらい金額を一人で稼いでいたから
それだけのことができたわけだし
不登校娘も復活して自力で高校卒業したし
次女も部活でリーダーやりとげて卒業して
よかったじゃないか。
とは
思ってた。
でもどこかで
あの日々がいやで
誰も認めてくれなくて
男みたいにやってた自分が不幸だと思ってた。
のだ。
その後の日々があって
佐久島に来て
女性として愛されて
女性性を受け入れて
女性性の極み
「いるだけでいい」
を知りました。
幸せになりました。
めでたしめでたし。
じゃなかった!!!!!
それだと
なんかどっかがしっくりこなくて
あのがんばってた私は
否定されて
ああいうのは女性として幸せじゃない生き方ですからやめて女を生きましょう。
みたいなことを言ってんのか⁉︎私は⁉︎
という疑念が沸々と湧き。
夫には男らしく私を守ってね。
私は女なんだから。
みたいなことを言っては夫と分かり合えず。
そうなのです。
男みたいにがんばって現実的に生きてきた男性性優位の私が
女性としているだけで愛されることを受け入れた。
そうしたことで
統合
が起きるの。
フラットになる。
ゼロになる。
真ん中に戻る。
ゼロの真ん中からみえたのは
あの頃のがんばってた私は
一方通行でダダ漏れてたわけじゃなくて
寝る時間削って夜中までがんばってたのは
だったの。
だから
娘たちは
自分を生きている。
そして
あんなに私を大嫌いと言っていた娘が
母が大好きで
自慢の母で
自分は絶対あんなふうにはなれないけど
尊敬してる
って。
そんなことを言ってくれるようになってた。
愛は一方通行でダダ漏れてた
なんて
私の妄想だった。
愛は
届いていたの。
受けとられていたの。
私のわがままを通してやりたい仕事をやっていたのも
それをやってたから
やり続けたから
全部今の私の経験になってた。
スキルになってた。
人に渡せるになってた。