私の「まな」のお話

愛知の離島佐久島で「まなの風」という場を営んでいるまなのあつこです。

 

ああ、そうか

私はずっとまなに導かれてきたんだ。

今まであまり触れてこなかった、まなの風のまなのお話をしてみようと思います。

 

 

まなの風というサロンを作ったのが今から8年ほど前になります。

整体師だった私が、導かれるようにロミロミを学びロミロミの自宅サロンを開いた時につけた名前が

まなの風というサロン名でした。

もっとも、当時はカタカナでマナの風と表記していました。

 

シングルマザーで昼も夜も働いてめちゃくちゃがんばっていた頃です。

まさに馬車馬セラピスト一直線の頃。

 

整体師からロミロミセラピストに転向したきっかけは、言うなら導かれてということになるでしょうか。

もともと私は硬派であることこそが我が道。と思い込んでいたところがあり(笑)

整体師時代の仕事着は常に作務衣。

とにかく武闘派でした(笑)

海外でもハワイには全く興味もなく、チャラい観光地くらいに思っていて<m(__)m>

まさか自分がそのハワイに伝わるエネルギーワークを学ぶことになるなんて考えたこともなかったのです。

 

当時、これも名前も知らなかったレイキというものを学び始めて

私の真ん中と繋がっていくことを知ってから出てきたのが

赤い花、ハイビスカス、エネルギーワーク、ハワイ、ロミロミ?

何?知らんけど!ってなりました。

 

でも私の真ん中には従ってしまうのが私。

わけもわからぬまま惹かれて入っていったのがロミロミの世界だったのです。

 

そして、自宅サロンの名前を変えようって思って出てきた名前がマナの風。

ハワイも一回行ったことあるだけ、ロミロミも日本でしか学んでない。

そんな私が、マナなんて名乗ることがおこがましくてもう相当悩んで悩んだけど

真ん中さんのいうことには逆らえないので悩んだ挙句結局決めたのが

「マナの風」私のまなの道の始まりでした。

*ハワイのマナは、私の言っているまなとは別のものです。気になる方は調べてみてください。

 

自宅サロンで始めたマナの風が、いろんな方のご縁でだんだん立派な場所に変わり、

名古屋のかなり中心部にもっていたマナの風の名古屋サロン。

自力だった、馬車馬だったって言ってるけど思えばいつもご縁をいただいていたのでした。

 

それでもまたわたしの真ん中が何かを言い出す。

ああ、私ここじゃない。

 

街の中にいてみるとどうしても空が恋しくて海が恋しくて

ハイジのようにビルの屋上に登っては空をみて、車を飛ばしては海を見に。

そんなことばかりしていた私はとうとう

私、ここいらない!

海のそばの家で、想いの繋がる仲間と笑って語って過ごしたい。

という本音に気づいてしまい、建てて2年足らずのサロンを閉めることを決めてしまったのです。

百万単位のお金をかけて作り、私のサロン私のサロンって言ってた場所を

いとも簡単に「手放しま~す」とか言っちゃうわけです。

 

いや待て!私の真ん中さんよ。

世の中には、ジョーシキってものがあるじゃないか。

とか言ってるあつこももちろんいましたよ。

 

でも真ん中さんは聞きゃしないわけです(泣)(笑)

 

サロンを閉めると決めた2日後、友だちに誘われてたまたま訪れたのが佐久島でした。

土砂降りの6月のことです。

 

その時泊めていただいたカフェのオーナーと翌日の朝海を見ながら話していて

「私ここに住みたいな」って言ってました。

その翌月にはカフェのお手伝いをしながら月の半分は佐久島で過ごすようになりました。

 

海の向こう側に歩いて渡れる小さな島があってその中に神社がある。

それは、幼いころ住んでいた鹿児島の海辺とそっくりなシチュエーションで

なんだか私の真ん中が落ち着く場所だったのかしら。

その堤防に座って海をみてボーっとして

名古屋に残してきているあんなことやこんなこと私の頭の中を渦巻く様々なことが

スーッと水面が静まっていくように澄んでいくのを感じていたように思います。

 

この頃いろんな人に助けられました。

名古屋にほったらかしにしてきてしまった娘たちも、

私が私らしさを取り戻していくほどに、元気になり自然に自立していきました。

抱えていた現実的な問題も、気がつくと一つ一つ消えていって

「あっちゃんはいてくれるだけでいい」

というポカンとしてしまうような言葉を言われるようになりました。

 

なにか漠然と私はいつか本を書く気がする。と思っていて

その頃突然名前を変えたい!と思い立ち、

マナの風のサロンもなくなっちゃったし、その名前は私につけようってことで

名乗り始めた名前がまなのあつこ。

やっぱりまなを持っていきたかったんだな。

 

そして間もなく、どんなご縁が導いてくれたのか、島の16歳年下の漁師と出会い結婚することになったわけです。

佐久島に来て2年目。

たぶんこの1年くらいで女性性に振り切る。

っていうことが起きたように思います。

暴走気味な男性性を発揮してがんばって走ってきた私が

あっちゃんはいるだけでいいよなんて言われて、いろんなことがゆるんでほどける。

 

あっちに振り切っていたものが、こっちに振り切って真ん中に戻る。

真ん中にあるまなとつながる。

 

それからは、パートナーを通して、起きてくる出来事を通して、

自分の内側を学ぶ日々になりました。

 

いろんなことがうまくいかなくなる時は、必ずまなから離れている。

逆にまなと繋がればすべてうまくいく。

 

 

まなと繋がれる体を作ること。

まなと繋がった無心の状態に戻れること。

まなと繋がって魂の願う道を歩くこと。

 

それをいろんな角度から伝えることが私のまなの道であるということも理解しました。

 

私がずっと真ん中と言ってきたものはまなでした。

 

まなとは、私の真ん中を探求していった私が出会った、

私に還る場所であり、魂の願いと繋がるところであり

魂の願いに従って行動していくエネルギーの源です。

 

それは私の体の真ん中にあり

そして、誰の真ん中にもあるものだと思います。

 

まな整体、骨盤のこと、股のこと、インナーチャイルドカードのメッセージ、レイキのこと、

全部私が伝えたかったのはまなのこと。

まなと繋がって、まなを生かしていくこと

 

これからはもっとシンプルに

まなを生かしていきたい人にお役に立てることを伝えていきます。

 

 

まなの風  まなのあつこ

 

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