【「トレーニング」という言葉が嫌いだった理由】
20年ほど前。
リフレクソロジーを学び、中日ビルの上品なお店で働いていた私。
その後、もっと働ける場所を探して、温浴施設の「足つぼ」店に入ったら…そこは酔っ払いのおじさんが集まる異世界。
さらに、私たち施術者は「セラピスト」ではなく「トレーナー」と呼ばれる。
もうその時点で違和感だらけ。
「トレーナーなんて呼ばないで!」
そう強烈に感じながらも、私は「私が我慢すればいい」と思い込み、何年もその環境に身を置き続けていました。
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最近、仕事をサポートしてくれているハーメル弘子ちゃんにこう言われました。
「あっちゃんの継続コースって、どう見ても“トレーニング”だよね」
私は即答。
「いや、“トレーニング”とか“トレーナー”って言葉、好きじゃない」
すると彼女は笑って、
「いやいや、竹刀持ってる体育会系トレーナーにしか見えないよ」
その瞬間、記憶の底からブワッと蘇ったのです。
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小学生の頃、体育の授業が苦手で「運動音痴」のレッテルを貼られていた私。
本当は歩けるし、泳げるし、山だって登れるのに。
体育会系の「外側を鍛えるノリ」には反発心があって、だから「トレーニング」って言葉を拒絶していたんだ、と気づきました。
でも、大人になった今思うのは──
本当に鍛えるべきは「内なるハラの力」。
結局、外でも内でも「鍛える」ことには変わりない。
だからもう私は言います。
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私は「トレーナー」でいようと思います。
パートナーシップも筋トレだから。
何度でも取り組む体力がないと、自分を幸せにできない。
私はそう信じています。
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「わたしのまんまで愛されるパートナーシップを育む」リトリートプログラム
10月21日から始まります!



